2021長野の子ども白書②上越教育大学大学院准教授 ⻆谷詩織「身近にいるギフティッド児の的確な理解~ギフティッド児神話から探る~」  

1. ギフティッドの定義

 「ギフティッド」は耳慣れない言葉かもしれません。あるいは、ここ数年来、映画やテレビ等でも取り上げられるようになってきていますので、言葉は耳にしたことがある方もいらっしゃるかと思います。その定義は概ね、ギフティッドについて最初の定義となる米国教育省のマーランド・レポート(1972)に準ずるものとなります。その定義を要約すると、ギフティッド児とは以下のような子どもを指します。

 

・ずば抜けた才能ゆえに高い実績をあげることが可能な子ども。

・実際目に見えて優れた成果をあげている子どもだけでなく、潜在的な素質のある子どもも含む。

・才能の領域:知的能力全般、特定の学問領域の才能、創造的思考や生産的思考、リーダーシップ能力、ビジュアル・アーツやパフォーミング・アーツ、精神運動機能(スポーツ領域は、その才能育成の環境が整っていることが多いことから、米国などではギフティッドから除外されることがある)。

 

 これらに該当する子どもを、専門家が種々の検査(観察含む)を用いて判定します。ただ、ギフティッドは障害ではないため、医師による医学的な診断とは異なります。判定にあたり潜在的な力をどう測定するのかという難しさがありますが、その指標の一つとしてIQがあります。一般にFSIQ130以上が一つの目安ですが、ではIQが129であればギフティッドではないのかといえばそうではなく、スペクトラムとして確固たる線引きができないものでもあります。『ギフティッド その誤診と重複診断』(北大路書房,2019,p.8)に、そのレベルと目安となるIQの範囲が、FSIQ115以上の範囲で掲載されています。


2. ギフティッド児にみられる共通特性

 IQの高さは、ギフティッド児の知的能力の高さだけを特徴づけるものではありません。

「脳が引き起こしている知的な潜在能力はその子のあらゆる面の根底に流れており、その子をその子たらしめているものであり、切り離すことができない。これは、IQが高ければ高いほど顕著に現れ」ます(『わが子がギフティッドかもしれないと思ったら』春秋社,2019,p.xii)。

その共通特性のいくつかを以下に記します。

 

それは、高度な言語力、並外れた記憶力・習得力、強烈な好奇心、強烈な想像力・創造性、抽象的思考力、非凡なユーモアのセンス、納得できる理由や理解を要する、できないことへの苛立ち、並外れた集中力・粘り強さ、強烈な正義感、高い共感性、繊細さ、激しさ、完璧主義などです。

 

 これらの特性は、その子の適応に必ずしも有利に機能するわけではありません。IQの高さを引き起こしている脳の効率的また大量の情報伝達ゆえに、繊細さ、激しさが引き起こされ、世の中の見方において周囲から共感を得難く、彼らがマイノリティ故に、同年齢集団では興味関心をわかち合う友達に出会うことが難しく、非同期発達の大きさ故に誤解されることもあるなど、難しい課題に直面することが珍しくありません。

 

特に激しさや繊細さは「過興奮性」(overexcitabilities)と呼ばれ、知、想像性、感情、感覚、精神運動の5つの領域で、外界からの刺激を一般に想定されるよりもずっと増幅して取り込まれ、かつ、それに対する反応が通常よりもかなり増幅されて表出されることを指します。猛烈な好奇心、不正に対する激怒、悲しんでいる友への強烈な共感性やその友以上に悲しみを感じること、感覚過敏と言われる身体反応やアレルギー、短い睡眠でも朝から晩まで元気いっぱい、などがその表出された姿となります。

 

これらについて周囲から的確な理解や配慮を得ることができれば、ギフティッド児は一般に自尊感情が高く、生き生きと育つことができますが、この理解や配慮を得にくい状況にあるために、公教育の場を中心にさまざまな問題が生じます。

 

 


3. ギフティッド児神話

 本稿では、ギフティッドを巡る代表的な神話、つまり、「誤解」を取り上げつつ、その理解を深めることができればと思います。『わが子がギフティッドかもしれないと思ったら』にも記載されている代表的な神話(誤解)を含め、いくつかピックアップして考えた

いと思います。

 

神話1:ギフティッド児は天才だ。

 天才の域にあるギフティッド児もいますが、例えばIQが180以上の割合は、100万人に1人よりも少ないとされています。

一方、IQ130以上となると、およそ3%で、クラスに1人いるかもしれないという範囲となります。IQが130の子どもが一見して天才というようには見えないことは、教師であれば経験知として抱いている感覚でしょう。また、ギフティッド児であれば、子どもながらにして名演奏家のように楽器を奏でたり、大学数学を解いたり、有名画家のような絵を描いたりするなども誤ったイメージです。そのようなギフティッド児も時にはいますが、その割合は極めて低く、むしろ、一見普通のちょっと変わった子のように映るギフティッド児のほうが多いという認識が必要です。関連して、前述の定義からもわかりますように、ギフティッド児は、特定の分野で並外れた才能を秘めている子どもです。ある一つの分野に限定された才能、あるいは、同じ数学でも図形の分野での才能、などのように限定されることもあります。それ以外の分野で標準的あるいは標準よりも低い才能だからギフティッドではない、ということにはなりません。

 

神話2:子どもはみなギフティッドだ。

 これは、昨今の「肯定的眼差し」の普及に伴い、特にややこしくなっている点です。「どんな子どもでも優れた点がある。ギフトをもっている。ギフティッドだ」。これは一見、とてもポジティブな子ども観を醸し出していますが、「とらえどころがないばかりか、正確とは言い難い」(同p.ⅷ)です。「十分な時間と励まし、教材などが整っていれば」学び伸びる子どもと、実際に新たな学習内容の習得にほとんど反復を要しないギフティッド児とは、根本的に異なります。この見解は決して優劣を問題にしているのではありません。「肯定的眼差し」にカモフラージュされ、学校において知的ニーズが全く満たされない悲惨な状況にある子どもたちがいるという現実と真摯に向き合う必要があります。以下はマーランド・レポートにおける警鐘です。

 「ギフティッド児やタレンティッド児は実際権利をはく奪され、心理的な傷と永続的な障害を負い、自身の才能を十分に発揮できなくさせられている」(同p.6)。

 

神話3:ギフティッド児には学習上の困難がみられることはほとんどない。

神話4:ギフティッド児の力は学校の成績を見ればわかる。

 この二つの神話は、「ギフティッドであれば学校の成績が良い」という誤解と言えます。まず、ギフティッドでも、ADHD、LD、ASD 等のあらゆる障害になり得ます(知的障害を除く)。また、習得が並外れて高いギフティッド児が、既に習得していることをドリルなどで無理矢理反復させられたり、知っていることばかりの授業を繰り返し受けているうちに、学習意欲が急降下していきます。早期から学校では自身の知的好奇心は満たせないと見限り、学校での勉強はせず、結果的にテストや成績が悪くなる、アンダーアチーバーと言われるギフティッド児もいます。

 

神話5:ギフティッドは発達障害の一種だ。

 これは『わが子がギフティッドかもしれないと思ったら』には記載されていない、日本独特の神話(誤解)です。定義からもわかりますように、「並外れて秀でた才能を秘めている」子どもをギフティッドと言うのであり、そこに障害の視点はありません。神話3とも関連しますが、ギフティッドであるかどうかと障害であるかどうかは、別の次元の話と捉えるとわかりやすいかと思います。

 関連して、物知りで少し話し方が風変わりで人づき合いが良いとは言えない子どもがすぐにASDと言われたり、授業が退屈であるがために席を立つ子どもをADHDとみなしたりする誤診の問題は、諸外国にもあり、ギフティッドの特性が障害と間違えられることが珍しくありません。日本では、ギフティッドの特性を理解している教師・医療専門家が非常に少ないため、この誤診の問題は深刻だと思います。

 本稿では、ギフティッドを巡る神話(誤解)を中心に、その基本的な特性の触りをご紹介いたしました。より深く、専門的、実践的な内容に関心のある方は、是非、『ギフティッド その誤診と重複診断』(北大路書房,2019)『わが子がギフティッドかもしれないと思ったら』(春秋社,2019)をお読みいただければと思います。

 また、春秋社のウェブ書籍「はるとあき」に6回に分けて執筆させていただきましたので、こちらも是非お読みいただけると、ギフティッドの脳の特性などもわかるかと思います。

 教育・医療の現場で、ギフティッドの的確な理解が浸透することを願っております。

 

【ギフテッド関連情報】海外のギフテッド関連文献の和訳記事、を読む方はこちら(リンク)

※ギフテッド応援隊ではギフテッドに詳しい海外の団体や個人より記事翻訳の許可を得ています。詳しくはAbout Usの「翻訳活動」の説明をご確認ください。